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心のぐらつき、今日この頃 [日記]

 「速やかな接種」が約束されていたのに、遅々として進まない失態に対して、その責任を問う声があまり聞かれません。オリパラ開催時の医療体制が発表されました。さすが、開催を疑わない組織委員会だけあって、実効性がまるで見込めないような要請が盛り込まれていました。
 そんなことがあってか、感じていることがあります。それは、余程のことが起きたとしても「大事」ではなくなるようになってしまったということです。やはり、事の起こりは政治が嘘や誤魔化しに見えてきてからでしょうね。リーダーたる者のモラルの低下は、社会のそれも低下したのです。 悲しい事故や事件が増えましたね。怒りの鈍化は正義感の低下につながったのです。
 気晴らしの読書。ところが、「ローマ人の物語」もアウグストゥスの時代に入って、スカッとしたものがありません。その前のユリウス・カエサルの時代で味わっていた颯爽としたものがないのです。カエサルがルビコン川を渡り、アルプス越えて繰り広げられたガリアでの戦いには魅了されました。
 著者である塩野七生が書いています。「感動は胸を熱くし、感心は頭脳を冴え返らせる」と。カエサルに感動したわたしは、その勢いをかって庭にウッドデッキをDIYしてしまいました。その後、感心の対象たるアウグストゥスの時代に入ったのですが、彼の憂鬱はコロナ禍や報道される事件と重なってしまい、気分は落ち込み、独りテレビに向かって文句を言っています。
 そして昨晩、6月末まで公民館使用禁止と聞き、マイゼンの練習もあと2か月休みとなってしまうことに、大いに落胆したところでした。
 こんな時こそ、何かに感動を求めねば。さりとて、茶番化した政治劇はもう見たくはありませんね。

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信用できない方から信用しろと言われても! [日記]

 トリチウムの海洋放出が決まりました。濃度を国内規制基準の40分の1、WHOの飲料水基準の1/7まで下げるとされています。昨晩は、漁業関係者の風評被害に対する懸念が報道されました。風評被害が払拭できずに、またお金で切り抜けたとしたら、それは漁業の崩壊につながることを懸念しています。
 政府は、「真摯に受け止め」、「一丸となって」、「説明を尽くす。」という常套句を並べましたが、信用できない方からの命令は暴挙に等しいように見えました。なぜならば、
 政府の現地説明会での漁業者の質問に対して、「今日はご意見だけお聞きし・・」と回避する態度には、一連の不祥事を彷彿させる「ない・かくす」(内閣府)の姿勢と重なりました。
 現存のタンク水を処理するだけで30年かかる。それがいつとも知れぬ廃炉迄という話をどうして信用できるのでしょうか。それを「あの東電」担う?そこに「責任」の二文字が見えてきません。
 沖縄の辺野古もそうだったように、政府は関係者と徹底的に話し合おうとしません。数字を使った科学で説得できると思っているからです。しかし、心無い説得は響かないものです。本当は説得の言葉の何倍も聞かなければならないのに。共に、悩むべきことなのに。もがき苦しむほどの悲劇に仕上がっていかないのです。人々は悲劇の結末に対して同情していくのに。そして、同情は理解を通して行動を変えていくのに・・・・。この一連の悲劇が国民には見えないから、理解されないのです。
 分かっているならば、分かち合うことができ、そこで、福島で水揚げされた魚が区別されるなどということは起こりようもありません。漁業者への理解が国民の理解につながっていくのがわからないのでしょうかねぇ。
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「#教師のバトン」プロジェクト [教育]

 「教職の魅力を取り上げて、教師を目指す人を増やす」ことを目的に、文科省は、3/26「#教師のバトン」プロジェクトを始めていると、Kさんから聞きました。
 ところが、教職を目指す学生や社会人の方々に、教師が前向きに取り組んでいる姿を知ってもらうための試みだったのですが、ネガティブな投稿が多数寄せられ、3/30文科大臣が記者会見をするに至りました。その中で、「願わくは学校の先生ですから、もう少し品のいい書き方をしてほしい。」とまで言われた大臣の心中をお察し申し上げたいと思います。
 こうしたパブリックコメント的な手法は、行政側が市民の賛同の声を得るためによくとられる手法です。当然、推進派は賛同の声を送りますが、世の中にはこうした案件にかまっておれないどうでもよい派で占められていることもあり、結果は望み通りになるのが通常です。
 なのに、本プロジェクトにはネガティブな意見が多く寄せられたのでしょうか。
 確かに、教職の現状への不平や不満は大きいものがあるでしょう。ただ、それだけを言い放って終わる人と、処遇改善を含めて働き方を何とか変えていこうとする思いまで伝えようとする人とがいて、前者が多かったのでしょう。不平や不満は、組織体の中心や推進母体からはあまり出てこないものです。今回は組織の周辺から発出されたものが多かったのでしょう。
 仕方なく賛同している方、主体になれずに傍観的な方、自分の不幸を周囲のせいにしている方・・・等の立ち位置が考えられます。心理的には、自分を正しいと思っている方、プライドの高い方、人のアドバイスを聞かない方、そして、自分をわかってもらいたいと思っている方でしょうか。
 働き方改革の標的となっている部活、顧問としてどんな先生が不平や不満を言うだろうかと考えてみればわかります。どうすればよいのかまで考えているのが、熱中派です。理に会わない面だけを訴えているのが周辺なのです。
 文科省の今回の取組みは、周辺からの声ばかりを集めてしまったようです。でも、集めたのですから、その体温をくみ取っていただき、具体的施策につなげていくのが官僚の仕事ではありませんか。大臣さんもすぐに言葉で反応しないで、省としての施策で応えてもらいたいですね。そうすれば、自ずと寄せられてくる意見の質的向上は望めるのではありませんか。あなた方はこの頃独善的になりすぎて、国民とキャッチボールすることを忘れていますよ。
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満面の笑みで入学式 [家族]

 四人の孫で一番下のTが入学式を迎えた。いつものように写真がスマホに送られてきた。
 カバンを背負い、一回り大きくなったようなT、笑顔でポーズを決めている。もう一年半になるだろうか。コロナ禍で会えない中、大事な機会をまたも奪われてしまったようだ。
 それでも、うれしさが湧いてくる。長男もその嫁さんも、折につけ写真を送ってくれるからなのだろう。たとえ、SNSでも伝わるものがあるものだと思う。確かに、入学という喜びも伝わってくるのだが、わたしらのことを思ってくれている二人の心遣いが伝わってくる。家族の中でたいせつなものというのはこういうことなのだろう。
 多くの目で見守られていることを意識している子どもは、立派に育つと思っている。


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東京に見る小さな明かり [日記]

 「人間の行動原則の正し手を、宗教に求めたユダヤ人。哲学に求めたギリシア人、法律に求めたローマ人。」(塩野七生『ローマ人の物語』)
 コロナ禍で行動抑制が求められる中、渋谷交差点や道頓堀が映し出され、また今日も人出が増えたことを告げている。大阪は感染者が六百名を越え、東京は微増ながらも爆発が抑えられている。これは、どうも混雑によって感染が拡大するという単純なものではなさそうだ。わたしには、東京の人たちの方がうまく感染をかわしているように見える。
 仙台が感染爆発している。山形はじめ東北も増えている。ここでは、「クラスター」という一年前に盛んに取り上げられていた言葉をよく耳にする。これは「どこかに」感染をかわそうともしない、極めて低レベルで時代遅れの輩が存在していることを意味しているのではないだろうか。
 宗教は、それを信じない人に対しては行動の正し手にはなりえない。
 哲学は、それを理解できる力のないことに対しては影響力をふるえない。現にソクラテスの死刑に多くのアテネ市民は賛成したように。
 だが、法律は違う。法の精神は考え方の違う人々でも一緒に生きていくためのルールである。
 大阪には法による規制を守れない人が多いのだろうか。仙台、東北には規制などどこ吹く風とうそぶく人がいるようだ。こういうのを野蛮人と言うのだろうか。
 一方、東京は花見や送別会だと活動しながらも、感染予防の哲学を会得しつつあるように見える。感染予防と経済活動の両輪を回すとは、こういうことだったのではないだろうか。
 これからどうなるかわからないが、わたしには小さな明かりを見つけている。
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近頃感じる危うさ [日記]

 ミャンマー状勢がかなりヤバイようです。もう国連はなくなったのでしょうか。米中の覇権競争の狭間で、ぎくしゃくすることが続いていませんか。
 ワクチン接種が遅れています。確かに副作用等を考えれば慎重であるべきだし、実施主体である市町村の混乱回避のためとも考えられます。予定がかくも簡単に反故されてよいものなのだろうか。それでも東京五輪はするのでしょうか。
 贈収賄、隠蔽・改ざん、そして深夜の宴会と、数多の悪事がニュース報道を汚しています。口先だけの謝罪を見る度に思うのは、この人たちに国の行く末を任せてよいものなのだろうか。
 新聞にパワーを感じなくなりました。切り抜き20年、とっておきたいと思う記事が減ってきています。総じてマスコミに何か変なことが起きているのではないでしょうね。
 「働き方改革」の前に「働かせ方改革」ではないですか。教員の時間外タダ働きがどこまで続くのでしょうか。肝心なことを棚上げしたまま、小手先の対応だけではこれ以上進めないのではないですか。
 1.8倍という歴史的低倍率に突入した小学校の教員採用、質の確保もままならないまま、35人学級に進むというのは、「怪挙」でしかありません。
 今日から新年度です。どうも危ういことばかりが続いているのですが。わたしもあと半年で70歳です。心配も外に増して内に向く頃合いと思えば、もう少し楽観的に過ごそうかとも思っています。
 
 
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