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東京に見る小さな明かり [日記]

 「人間の行動原則の正し手を、宗教に求めたユダヤ人。哲学に求めたギリシア人、法律に求めたローマ人。」(塩野七生『ローマ人の物語』)
 コロナ禍で行動抑制が求められる中、渋谷交差点や道頓堀が映し出され、また今日も人出が増えたことを告げている。大阪は感染者が六百名を越え、東京は微増ながらも爆発が抑えられている。これは、どうも混雑によって感染が拡大するという単純なものではなさそうだ。わたしには、東京の人たちの方がうまく感染をかわしているように見える。
 仙台が感染爆発している。山形はじめ東北も増えている。ここでは、「クラスター」という一年前に盛んに取り上げられていた言葉をよく耳にする。これは「どこかに」感染をかわそうともしない、極めて低レベルで時代遅れの輩が存在していることを意味しているのではないだろうか。
 宗教は、それを信じない人に対しては行動の正し手にはなりえない。
 哲学は、それを理解できる力のないことに対しては影響力をふるえない。現にソクラテスの死刑に多くのアテネ市民は賛成したように。
 だが、法律は違う。法の精神は考え方の違う人々でも一緒に生きていくためのルールである。
 大阪には法による規制を守れない人が多いのだろうか。仙台、東北には規制などどこ吹く風とうそぶく人がいるようだ。こういうのを野蛮人と言うのだろうか。
 一方、東京は花見や送別会だと活動しながらも、感染予防の哲学を会得しつつあるように見える。感染予防と経済活動の両輪を回すとは、こういうことだったのではないだろうか。
 これからどうなるかわからないが、わたしには小さな明かりを見つけている。
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