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履き違え [教育]

 「保護者への説明機会」や「接種後のきめ細かな対応」、「同調圧力によるいじめ」などに問題があることから、「学校での集団接種は推奨しない」との通知が文科省から出されました。
 市町村の判断での実施も条件付きで認めることが付帯されており、「推奨しない」の文言からも、集団接種への対応としては、比較的柔軟なものと受け止めています。
 気になったのは、冒頭に掲げた理由の中の「同調圧力」です。記者会見で文科相は、このことを取り上げて「受ける人と受けない人との差別化につながる」としています。
 そうでしょうか。心配されることからの回避は場合によってはあるかもしれません。遠足で滑落の危険がある崖っぷちを通ることを回避することは当然のことです。しかし、ワクチン接種の場合は、絶好の「生徒指導の場」ではないのでしょうか。
 リアリティを欠いた場面で、いくら「いじめ撲滅」を唱えたところで効果は望めません。実感の伴わない指導で投げかけられた言葉は、念仏でしかありません。
 また、保護者への説明に難を示していることには、学校不信も伺えます。それを指導するのが文科省ではありませんか。
 こうした姿勢が、言わば強制的に自治体に伝わるわけで、何ら問題なく素通りして子どもたちに行きつくことに不安を覚えます。こうした考え方のズレが重なって、大きなズレが生まれてきたのでしょうか、この頃の文教政策に「履き違え」を感じることが多くなりました。

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半径5メートルの世界 [日記]

 NHKの「ドラマ10」でやっている『半径5メートル』が面白い。来週の9回目で最終回は惜しい気がする。ここには、何かを読み解くヒントが隠されている。
 先日、半導体に関する議員たちの会合が開かれ、「スリーA」が揃ったことが報じられた。「これは政局の顔ぶれだ」とAのだみ声のあいさつに会場が沸いていた。今、世の中で何が起こっていようと、「何でも有り」を貫き通してきた者たちが集まる異次元空間なのだ。住む世界が違うのである。
 50年以上も前である。大学に入学して、出席番号で並ぶS君とよく話をしていた。抑制のきいた生活態度、美徳が読み取れる考え方、まあ、気が置けない間と感じたのだろう。ところがある日、ノート一面に彼は落書きをしていた。よく見ると、当時のソ連の国旗に描かれているマークだった。「それ何」と聞くと、「インターナショナル」と返ってきた。その瞬間、彼を受け入れようとしない自分がいた。
 見てきた世界が違うということはこういうことを引き起こすのだ。半径5メートルとは自分が受け入れ可能な世界なのである。
 政局と嘯くAたちには、「名門」という世界があるのだろう。ローマがユリウス・カエサル以来、代々皇帝の名に「ユリウス」「アウグストゥス」の名が冠されている。その半径5メートルの世界に入ることが皇帝の一条件だったからである。
 5メートルの外に感じた時、自らの免疫機能は「No」を出すようにできているのかもしれない。

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責任回避 [日記]

 きまりはどうであれ、国民の思いを汲んで行動するのは首相ではないのだろうか。それは、進める側の組織委員会やJОCには望むべくもないことだし、止められるのは国民の意思を反映できる人であるはずです。
 尾身さんの「普通ではない」発言以来、開催の責任論と何故に対する説明責任が問われています。もう刻限が迫っている中、主催者側の三者が揃って説明すべきです。
 危惧するのは、組織の歪みです。国民の支持が離れ、上司に踊らされてきた組織委員会の人たちのモチベーションを心配しています。こうした精神状態の中では、準備に手落ちや失敗が生まれるのは世の常です。彼らに国民の応援が届くようにしなければなりません。
 もし、それをしないまま大会に突入することは、自殺行為です。わたしは、あの昭和39年の沸き立つ思いを今でも覚えています。
 上に立つ者は、熱く語らねばなりません。行くも止めるも同じです。熱を帯びない言葉は、責任回避を意味します。
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